2020年7月、卓球用品のリーディングカンパニーであるバタフライから、一つの異色なラバーが市場に投入されました。その名は「アイビス(Aibiss)」。粘着性ラバーでありながら、同社のフラッグシップである「テナジー」や「ディグニクス」とは一線を画す性能を持つこのラバーは、一部の熱心なプレイヤーの間で「謎多き存在」「醜いアヒルの子」とまで呼ばれています。本記事では、このアイビスが持つ真の性能、他の主要ラバーとの違い、そしてどのようなプレイヤーにとって最高の武器となり得るのかを、公式データと世界中のユーザーレビューを基に徹底的に解剖します。
アイビスとは何か?― 異色の粘着ラバーの誕生
アイビスは、「粘着性ラバーらしさ」と「安定した高品質」の両立を目指して開発されたラバーです。強い回転を生み出す特殊な粒形状のトップシートに、同社の看板技術「スプリングスポンジ」の製造技術を応用した硬いスポンジを組み合わせています。これにより、粘着力に負けない反発力を実現し、回転量が多く弧線の高いボールを生み出すことを可能にしました。
バタフライの公式発表によれば、アイビスは「緻密な台上技術や前陣でのカウンタードライブなど、粘着性ラバーの特長を生かしたプレーを目指す選手」に推奨されています。このコンセプトは、スピードよりもスピンとコントロールを重視する特定のプレースタイルに特化していることを示唆しています。
性能分析:データとユーザーレビューから見る実力
ラバーの性能を客観的に評価するため、まずは公式スペックとユーザー評価を見ていきましょう。バタフライが公表している性能値は以下の通りです。
- スピード: 10.5
- スピン: 11.0
- スポンジ硬度: 50度
この数値だけを見ると、スピン性能が非常に高く、スピードは控えめ、そしてスポンジが極めて硬いことがわかります。特にスポンジ硬度50度は、バタフライのラインナップの中でもトップクラスの硬さです。では、これらのスペックが実際のプレーにどう影響するのでしょうか。
スピン性能:粘着ラバーの真骨頂
アイビスの最大の武器は、その卓越したスピン性能です。多くのレビューで、サーブやツッツキ、ストップといった台上技術において、非常に強い回転をかけやすいと評価されています。粘着性のトップシートがボールをしっかりと掴むため、短いスイングでも鋭い回転を生み出すことが可能です。特に、相手のサーブに対するカウンターやフリックにおいて、その真価を発揮します。ループドライブを打った際には、ボールは高く強い弧線を描き、相手コートで鋭く落ちるため、ブロックが難しい軌道となります。
スピード性能:最大の課題と引き換えの利点
一方で、アイビスの明確な弱点はスピードの不足です。多くのユーザーが「スピードを出すためには相当な力が必要」「1000キロカロリーを消費するようだ」と表現しており、中・後陣からの打ち合いでは威力不足を感じる場面が多いようです。このラバーは、Tenergyシリーズのような自動的な弾み(カタパルト効果)がほとんどなく、自分のスイングスピードとインパクトの強さがボールの速さに直結します。しかし、この「飛ばなさ」は、前陣でのプレーにおいては大きなメリットに変わります。相手の強打に対してもオーバーミスしにくく、コンパクトなスイングで安定したブロックやカウンターが可能です。つまり、アイビスは自らパワーを生み出すプレースタイルではなく、相手の力を利用し、スピンとコントロールで勝負するプレイヤー向けの設計と言えます。
コントロールと打球感:硬質スポンジがもたらす安定性
スポンジ硬度50度というスペックが示す通り、アイビスの打球感は非常に硬いです。これは、ブースト(補助剤塗布)をしていない中国製の粘着ラバー、例えばDHSの「狂飚(Hurricane)」シリーズに近い感覚だと多くのレビューで指摘されています。この硬さが、ボールを掴む感覚と、インパクト時にブレない安定感を生み出しています。特にショートゲームでのコントロール性能は抜群で、ボールを短く低くコントロールすることが容易です。また、相手のスピンの影響を受けにくいという特性もあり、レシーブが安定しやすい点も大きな利点です。
重量とブレードの相性
アイビスは、カット前の重量が78gに達することもあるなど、かなり重いラバーとして知られています。この重量は、ラケット全体のバランスに大きく影響するため、組み合わせるブレード選びが重要になります。スピード不足を補うため、多くのユーザーはカーボンファイバーを搭載した速いブレードとの組み合わせを推奨しています。例えば、「張継科 SUPER ZLC」や「ティモボル ALC」のようなアウターカーボンのブレードと組み合わせることで、ラバーのスピード不足を補い、スピン性能を最大限に引き出すことができます。逆に、純木材のブレードと組み合わせると、スピードがさらに不足し、攻撃力に欠ける可能性があります。
主要ラバーとの徹底比較
アイビスの立ち位置をより明確にするため、他の人気ラバーと比較してみましょう。
アイビス vs. Dignics 09C / Glayzer 09C
バタフライの粘着性テンションラバーの最高峰「Dignics 09C」とその廉価版「Glayzer 09C」は、アイビスの直接的な比較対象です。
- Dignics 09C: 全ての性能でアイビスを上回ります。スピード、スピン、ボールの威力のいずれにおいてもD09Cが優れており、トッププロの使用に耐えうるハイエンドラバーです。しかし、価格も非常に高価です。アイビスは、D09Cのコンセプト(粘着性+テンション)をより低価格で体験したいプレイヤーにとっての選択肢と見なされることがありますが、性能差は大きいのが実情です。
- Glayzer 09C: G09CはD09Cの性能を維持しつつ、より扱いやすさとコストパフォーマンスを追求したラバーです。アイビスと比較すると、G09Cの方がテンション効果が強く、スピードが出やすい傾向にあります。アイビスはより古典的な粘着ラバーに近い特性(低速・高スピン・硬い)を持ち、G09Cは現代的なハイブリッドラバー(粘着+テンション)の特性が強いと言えるでしょう。
結論として、アイビスは「Dignics 09Cの廉価版」というよりは、「より尖った特性を持つ、異なるコンセプトの粘着ラバー」と捉えるのが適切です。
アイビス vs. Tenergy 05
長年王者に君臨してきたテンションラバーの代名詞「Tenergy 05」との比較は、プレースタイルの違いを浮き彫りにします。
- 打球感と弾み: Tenergy 05はスポンジ硬度36度で、ボールが食い込みやすく、強い弾み(カタパルト効果)があります。一方、アイビスは硬度50度で非常に硬く、弾みは控えめです。
- プレースタイル: Tenergy 05は中・後陣からのループドライブの引き合いで威力を発揮するラリー志向のラバーです。対してアイビスは、前陣に張り付いて、台上技術とカウンターで勝負するスタイルに特化しています。
- 結論: この2つは全く異なるタイプのラバーであり、Tenergyユーザーがアイビスに乗り換える場合、プレースタイルの大幅な変更が求められます。
アイビス vs. DHS 狂飚3 NEO
中国製粘着ラバーの代表格「狂飚3 NEO」は、アイビスと最も近い比較対象かもしれません。
- 打球感と粘着性: 狂飚3はより強い粘着性を持ち、ボールをシート表面で「持つ」感覚が強いです。アイビスも粘着性ですが、狂飚3ほどではなく、スポンジの反発も少し感じられます。「ブーストなしの狂飚」に似ているという評価が的確でしょう。
- 扱いやすさ: アイビスはバタフライ製品ならではの品質の安定性があり、個体差が少なく、ブースターなどの補助剤なしでも性能を発揮できます。一方、狂飚シリーズは性能を最大限に引き出すためにブースターの使用が半ば前提となっている側面があります。
- 性能: 台上フリックなど、コンパクトなスイングでの速い攻撃はアイビスの方がやりやすいという意見があります。一方、強打時の最大回転量やボールの重さでは、適切に扱われた狂飚に軍配が上がることが多いです。
アイビスはどのようなプレイヤーに最適か?
これまでの分析を総合すると、アイビスは決して万人向けのラバーではありません。以下のような特定の条件に合致するプレイヤーにとって、強力な武器となり得ます。
アイビスが最適なプレイヤー像
- 前陣でのプレーを生命線とする選手: 台から下がらず、ピッチの速い展開を得意とするプレイヤー。
- 台上技術とカウンターを多用する選手: サーブ、レシーブからの3球目、4球目で試合の主導権を握りたいプレイヤー。チキータやストップ、フリックで相手を崩し、カウンターで得点を狙うスタイルに最適です。
- 中国製粘着ラバーからの移行を考えている選手: 狂飚シリーズの感覚が好きだが、品質のばらつきやブーストの手間を避けたいプレイヤー。
- コントロールと安定性を最優先する上級者: スピードよりも、確実なボールコントロールとスピンの変化で勝負する、経験豊富なプレイヤー。
逆に、初心者や中級者、中・後陣でのダイナミックなラリーを好むプレイヤー、楽にスピードボールを打ちたいプレイヤーには推奨できません。このラバーを使いこなすには、正確なインパクトと強いフィジカルが不可欠です。
結論:アイビスは「買い」か?― コストパフォーマンスと独自の価値
バタフライのラインナップの中で、アイビスは確かに「醜いアヒルの子」かもしれません。フラッグシップモデルのような華々しいスピード性能はなく、多くのプレイヤーにとっては扱いにくい存在です。日本のレビューでも「一世代前のラバー」と酷評されることさえあります。
しかし、その評価は一面的なものに過ぎません。アイビスは、「前陣でのスピンとコントロール」という一点に性能を極限まで振り切った、極めて専門性の高いラバーです。そのニッチな性能は、特定のプレースタイルのプレイヤーにとっては、高価なDignicsシリーズにも劣らない価値を提供します。価格もDignicsやTenergyよりは手頃であり、耐久性も高いというレビューも見られます。
もしあなたが、自らのプレースタイルを深く理解し、前陣での緻密なプレーに活路を見出す上級者であるならば、この「異端の粘着ラバー」は、あなたを勝利に導く「白鳥」へと変貌を遂げる可能性を秘めていると言えるでしょう。




